語彙力を育む#2

語句は知識量、語彙はコンテキストの想像力

語句は知識量、語彙はコンテキストの想像力
前回はこの言葉で締めくくりました。
単に「語句」の知識を増やすだけではなく、「語彙」を増やす。ということを目標にしていくにはどうしたらいいのでしょうか。

目次

「語彙」はコンテキストの想像力

コンテキストとは直訳すると「文脈」となります。さらに、一般にコンテキストと使われると単純な文章の前後関係だけでなく、その事象・話題の背景や心理などいわゆる「空気を読む」といったニュアンスが含まれてくる場合が多いでしょう。

空気を読む」という言葉を使うと拒否反応が生じる方もいるかもしれませんね。

ここではいわゆる「空気を読む」という、どこかパワハラめいた感覚を身につけろと言いたいわけではありません。

(「空気を読む」にパワハラのニュアンスが含まれるかの議論はさておき、ネガティブな印象を受ける方はおそらくこの言葉にパワハラ的な圧迫感のようなものを感じてこられた方が多いのではないかと思いそのような表現を用いてます)

ここで押さえておきたいのは「言葉の選定は意味さえ合っていればどんな表現でも100点なのか」という点です。

語彙力のある表現って?

例えば、朝の会の時間に担任が子どもたちに話をするとして、次のようなお話は「語彙力がある」と言えるでしょうか。

みなさん、おはようございます。本日は晴天に恵まれ、非常に気分が高揚しますね!….

たったの一行ですが、すでに違和感を感じますよね。でも内容が間違っているわけではないんです。語句としても非常に丁寧で品位ある語句が用いられており、そのまま天皇陛下に話しかけても通じるほどの品格すら感じられるほどです。お育ちが良さそうな感じがしますね。だけどやっぱりどこか違いますよね。

理由は簡単です。言葉がまったく「子ども向け」ではないからです。また、細かくみるとニュアンスも違います

本日は晴天に恵まれ」って言い換えると「今日は天気がいいですね」ってことですよね。だけど、他にもっと受け止められる情報はありませんか?

基本的な情報は「本日は晴れ」ということなのですが、それ以外に汲み取れる情報はないでしょうか。

「本日は晴天に恵まれ」から得られる情報

先に断っておきますが、この話題の結論としてコンテキストを判断し語句を選定する力を「語彙力」とするという落とし所はすでに本記事の第1回で触れています。そのため、「本日は晴天に恵まれ」からどのような情報が得られるのかは人によって、環境によって、背景によって、つまり「コンテキスト」によって変わるということは確認しておきます。ここでは、私が、今、考え得る一例として述べます。

本日は晴天に恵まれ」という文言から、「本日」も「晴天」も「恵まれ」もどれも日常生活、仲の良い間柄ではさほど使わない表現です。いわゆる「堅い言葉」ですね。そのため、こうした言葉を選定することで相手に対して一定の距離をとっていることをアピールすることになるでしょう。

私はあなたと打ち解けていないよ」といった表現とも言えるでしょうか。もしくは「今はちょっとかしこまった場かしこまった立場としてお話してるんだよ」という主張にもなるかも知れません。

また、「晴天に恵まれ」とありますが、「恵まれ」という表現から「今日は晴れであることが恵まれた状態、望ましい状態であった」という「期待をしていた」というニュアンスも感じ取れそうです。担任の先生がこの言葉を使うとしたら、授業参観や運動会などちょっとしたイベントのときに使うことが考えられますね。

つまり、「晴れたことが望んでいたことであり、嬉しく思っているよ」といった意味が含まれてくると考えられますね。

このように、いわゆる堅い表現や小難しい表現には「単純な事実」以外の情報が含まれやすくなります。

「今日は天気がいいですね」から得られる情報

それに対して、普段よく使う表現であろう「今日は天気がいいですね」はどうでしょうか。

まず、何より言葉が簡単で誰でも使う、幼少期から使う慣れ親しんだ表現であるため耳なじみがいいですね。すっと耳に入ってきます。また、言葉の持つ意味も非常にシンプル受け止めやすいのではないでしょうか。

こうしたシンプルで簡単な言葉の多くは書いてある字面通りの意味しかもちません。どれだけ分解しても

今日は晴れ(天気が良い=晴れの意)」としか言っていないのです。事実伝達には十分な表現ですね。

裏を返せば、この文面そのものは事実しか伝達していないため、そこに話者の心理や背景は一切含まれないとも言えます。その代わり、誰にでも伝わりやすいということがメリットと言えるかも知れません。

シンプルな表現に想像力は不要?

では、「今日は天気がいいですね」という表現を使えば、コンテキストは存在しないということでしょうか。また、「本日は晴天に恵まれ」では不適切な場合はあるのでしょうか。

朝の会で「今日は天気がいいですね」と担任が言っても、その日は理科で雨の天気について学習したかったから本当は雨天であって欲しかったかもしれません。もしくは、みんなの大好きな体育の授業があったとしても、苦手な子にとっては雨天であって欲しかったかもしれませんし、いつも元気で体育で大活躍するA君が今日は欠席していたら、同じチームの子は今日が雨であることを望んでいたかもしれません。

もし、多くの人が、もしくは話者本人(ここでは担任)が「雨天を望んでいた」背景があったとしたら、「本日は晴天に恵まれ」はちょっとずれている気がしますよね。また、「今日は天気がいいですね」という表現にもちょっと残念な気持ちが見え隠れしている気がしませんか?

もしそうだとしたら、後に続く「気分が高揚しますね」は、皮肉に聞こえてくるのではないでしょうか。

それに、シンプルな表現の「今日は天気がいいですね」にはどのような言葉を後に続ければいいでしょうか。
例えば同じようなシチュエーションを経験したことがあれば次のような表現を使ったことがある方が多いのではないでしょうか。

  • 「今日は天気がいいですね。残念ですね。
  • 「今日は天気がいいですね。次に期待ですね。
  • 「今日は天気がいいですね。最悪ですね。
  • 「今日は天気がいいですね。やばいですね。

さて、これらの表現を後に続けるとどのように受け止められるでしょうか。どれも恐らくは「雨天を期待していたのに晴れてしまった」が故に出てきた言葉として使われそうな表現です。(国語的に厳密に正しいかどうかはここでは問いません)

是非考えてみてください。どれも「雨天を期待していたのに晴れた」ときに使いそうな表現ですが、ニュアンスが違いますね。

次回はこれらの表現のように語彙で変わってくる場面のとらえ方についてもう少し深く掘り下げてみたいと思います。

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